空に消えてった
最近、妙にむしゃくしゃする。
例えば、木の上であいつら——ジュカインとオオスバメが、並んで座っている時。特に、楽しそうに喋っている時なんか最悪だ。そんなふたりを地べたから見上げるたび、息が詰まって、動悸がして、気がつけば、回れ右をして見なかったふりをしている。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。オイラを除け者にして楽しそうにしないでほしいなんて、そんなことをぐるぐる考えている自分が一番嫌だ。
旅をしていた時はこんなことなかったのに。ああそうだきっとずっと一緒にいたからだ。話したい時も、話したくない時も、あいつらは近くにいた。
だから住む世界が違うことにも気づけなかった。
あいつらは森の中、対してオイラは水の中。逆立ちしたって地べたから離れられない。空には決して近づけない。ああ嫌だ。“ヘイガニ”なことを一瞬でも嫌になった自分が嫌だ。
みずタイプのくせに、頭がオーバーヒートしそうだ。もう何も考えたくない。
ふと目に付いた手近な木を思いっきり殴りつける。予想以上に固くて、ハサミの先から苦手な電気が伝わるみたいに全身が痺れた。木にも、ザマーミロって笑われているみたいだ。
「……ったく、何してんだ……」
へたりと、その場に倒れ込む。ぴりぴり痛むハサミを冷やしに行きたいけれど、ちっとも足は動いてくれない。
「……花火、始まっちまうなぁ」
今日はマサラタウンの夏祭りだとかで、花火が上がるから一緒に見ようぜってあいつらと約束していたのに。
太陽はとっくの昔に地平線の彼方に見えなくなり、今では一番星がちらちらと瞬いている。
「別に、いいか」
——オイラがいなくたって、あいつらはいつも楽しくやってるし。
なんだかやりきれなくて、出てほしくもない涙が滲む。
もう、今日はここで寝てしまおう。一日寝れば、きっと全部忘れて元通りになる。散々頭が悪いと言われてきて、むきになって反抗し続けていたけれど、今はそれに縋るしかない。
瞼を閉じると、現実から逃げるように意識は薄れていった。
それから、間もなく。
「おい」
無遠慮に身体を揺すられ、意識がぼんやりと戻ってくる。
「んだよ……」
小さく唸って、もぞもぞ身体を動かし、顔を上げようと、して。
「やっと起きたか」
「なんでこんな所で寝てたんだ?」
「!?」
寝起きの頭で、はたと気づいた。これはあいつらの声だ! 咄嗟に顔を地面に伏せ直した。こんな情けない顔、見せられない。いや、見せたくない。まだ涙は乾ききっていない。
「俺達との約束を放って寝るなんて、良い度胸だな」
「具合でも悪いのか?」
まずい。これは、とても、まずい。冷や汗がたらりと地面に落ちる。口を開けば、ぐしゃぐしゃな感情をそのままこいつらにぶつけてしまいそうで。
「……」
「おい、何とか言ったらどうだ」
「体調悪いなら研究所行くか?」
どうすればいい。足りない頭を振り絞って考える。
「……約束すっぽかしたのは、悪かったよ。体調も別に悪くねぇし。な、オイラのことはいいからさ、オマエらだけで行ってこいよ」
自分でもわかるくらい、下手な演技だ。様子の変なポケモンを放っておくような奴らじゃないことぐらい、オイラが一番知っているのに。
ああ、でも、これ以上どうしろと?
「……え?」
予想通り、困惑したようにオオスバメが呟く。きっとジュカインも眉根を寄せていることだろう。こうなれば根気勝負だ。こいつらが立ち去るまで我慢するしかない。
——と、決めたのに。
「いや、でもさ。ヘイガニがいなかったら楽しくないだろ」
「——嘘つけ!」
なあジュカイン、というオオスバメの声に、被せるように鋭く叫んでいた。目をまんまるく見開いたふたりと視線がかち合う。
……あ、顔。
「……泣いてたのか」
「泣いてなんかねぇっ!」
再び勢いよく顔を伏せる。今度は地面に思いきり鼻をぶつけた。
「もういいだろ。どっか行ってくれよ……」
見られた。情けない。恥ずかしい。きつく閉じた目の端から涙が溢れる。
「オイラがいなくたって楽しくやれんだろ。いつもみたいにさぁ」
「いつも?」
「オイラの知らねぇ話ばっかしやがって。木の上なんか行ける訳ねぇじゃん。置いてけぼりにされる気持ちなんか、オマエらにはわかんねぇだろ」
嫌だ、嫌だ、嫌だ。もう何を口に出しているのかわからない。ふたりは大事な仲間なのに。こんなことを言うつもりじゃないのに。
ジュカインとオオスバメは何も言わないから、きっと呆れてしまったのだろう。
ああ、このままじゃ。
「ひとりは、いやだ……」
もう疲れた。どうにでもなってくれ。
「——それが本音か」
低くジュカインが呟くと同時に、ハサミの付け根に手を入れられ身体が無理矢理起こされる。もう反抗する元気はない。
べしょべしょの顔は上げられず、地面に腰を据えたジュカインの鎖骨あたりに目をやる。いつの間にか、羽が触れるくらい近くにオオスバメもいた。
「俺達が、いつお前をひとりにした」
「……さっきも言ったろ。木の上にいる時とか、」
「お前に気付かないはずがないだろう」
「は?」
いつになくまじめな声に思わず顔を上げると、こちらをまっすぐに見つめる黄色の瞳。
「見かけたら声かけようと思うんだけどさ、最近ヘイガニすぐどっか行っちゃうだろ」
「え?」
ちょっと待ってくれ。オイラの行動、全部見られていたのか。
「それに一番ジュカインが楽しそうな時って、大体ヘイガニの話してる時だしっていてっ」
さらりとオオスバメに暴露され、ジュカインが無言ではたく。
それをぽかんと眺めていると、こちらの視線に気づいたジュカインに見るなと顔を地面に押し付けられた。起こしたのはそっちの方なのにすごく理不尽だ。でも、今はそんなことどうでもよくて。
「……ってぇことは、」
つまり、オイラが除け者にされていると思ったのは——早とちりだった、ってことなのか。さっきとは違う理由で頭の中がぐるぐるする。
実はオイラ、もしかしてすごく頭が悪いんじゃないか?
「……なあ」
呼びかければ、何だ、という声が二つ重なった。何を言えばいい? しばし逡巡する。
「……オイラが木の下から呼んでも、気づく訳?」
「当たり前だ」
「もちろん」
自分でも何言ってんだと思ったけれど。それでも、間髪入れず揺るぎない答えが返ってきて、また少し、目頭が熱くなった。
ジュカインにぽん、と軽く頭を叩かれる。柔らかな羽毛越しに伝わるオオスバメの温もりに、身体の力が抜けた。
「そっかぁ……」
へにゃり、と。久々に笑えた気がする。もうオイラ頭悪くていいや。
ジュカインの手は知らないうちに離れていたので、顔を上げると。
ヒュル、と細く高い音が空気を切り裂き。
——ぱぁっと、夜空に光の花が咲いて、ふたりの顔を明るく照らした。
次いで、どぉんと低い音が鳴り響く。
繰り返されるそれは、まるで笛と太鼓から成る祭囃子のようで。
「……花火、忘れてた」
「だと思った」
鼻を啜るのも忘れ、花火に見入っていると、オオスバメがからりと笑った。
「ここからだと、枝が邪魔だな……」
花火の音に紛れ、ぽつりと呟く声が聞こえた。オイラがぐずぐずしていなければ、もっといい場所で見られたのにな。そんなことをぼんやり考えていると、突然、身体が宙に浮いた。
「へ?」
ジュカインがオイラを抱えたのだと気づいた次の瞬間には、内臓がぐうんと持ち上がって、視界が開けた。
強く吹き抜ける風。ああ、この景色がこいつらの。
「ここならよく見える」
「特等席だな!」
空が、近い。ハサミを伸ばせば、花火を掴めそうな気がして。
あんなに、遠いと思っていた場所なのに。
「……いつだって、連れてきてやる」
「置いて行ったりする訳ないだろ!」
一段と強い光が、ふたりの顔を照らす。
まだ、祭囃子は止まない。
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