夏雲ノイズ
きっと罰が当たったのだ。
彼が俺を看取ってくれると、心のどこかで信じていたから。俺が彼を失う悲しみを味わうことはないと、安心していたから。
口から発される言葉は意味を為しているのか。それすらわからなかった。頬から滴り落ちる雫が邪魔で仕方ない。氷のような皮膚に額を押し付けても、温もりが移る気配はなく、むしろこちらまで凍ってしまいそうで。ああ、それでもいいかもしれない。
紅の瞳が鈍く光っている。消えるなと、ただそれだけを願った。
どれだけそうしていただろう。はらりと散った葉が羽根を撫でた。顔を上げ、痺れるように働かない脳で唯一浮かんだ、知りたくもなかった事実。
――宿主の生命が尽きた時、背中の大樹もまた枯れるのだ。
朝からひんやりと雨が降っている日だった。いつも通り、彼は研究所の見回りをしていたらしい。そこで侵入者に襲われているポケモンを見つけ、撃退した。――が、相手は彼の苦手なこおりタイプの技を使っていたのが致命的だったようだ。
彼ひとりなら、助かっただろう。しかし、保護したポケモンを研究所に連れてくることを優先した彼の体温を、雨が少しずつ、けれども確実に奪っていったのだ。
「らしい」、「ようだ」。伝聞形ばかり。つっと口元が歪む。どうしてすぐに飛んで行かなかったのだろう。
後悔先に立たず。――全く、その通りだ。
「じゃ、また明日」
にこりと笑顔を向けた後、颯爽と翔けていくオオスバメの背中を見送った。
皆は気を遣って俺によく声をかけてくれる。遊びに行こう、レースをしよう、美味しいものを食べよう。彼らだって決して楽しい気分ではないのに、わざわざ誘ってくれるその気持ちがありがたい。
俺も寝床に戻るかと翼を広げかけた時、ふと目を向けた地面に鮮やかな紅を見つけた。すらりと天へ伸びる茎、薄布を幾重にも巻いたような花びら。これは、
――こいつは、立葵。
もう二度と聞くことのできない、彼の声が耳の奥で響いた。
――空に向かって咲いてくのがいいよなぁ。
花弁と同じ色の目を細め慈しむ彼の表情が脳裏によぎり、思わず嗚咽が漏れた。止める間もなく、ぱたぱたと地面に雫が落ちる。
――俺の知ってることをお前にも知っててほしいじゃねぇか。
そう彼は屈託なく笑っていたが、これは――呪いだ。ここには彼が覚えさせた花が、草木が、至る所に育っているというのに! 一生、俺は花が咲く度に彼の面影を追いかけ続けなければならない。忘れることなど決して許されないのだ。
……ああ、何と未練がましいことか。知らず知らずの内に苦笑を浮かべた。どうせ呪いなんてなくとも、彼を忘れられやしないのに。
立葵が揺れる。天まで届きそうな頂の、さらにその先に彼はいるのだろうか。
どちらでもいい、と思った。彼は俺の中に根付いている。それでも、問いたくなった。
「ドダイトス」
掠れた声は空に溶ける。
「俺は、お前に胸を張れるような生き方ができるだろうか」
返事は聞こえない。当たり前だ。この世にいない者に口はない。迷いながら、一歩ずつ、ひとりで進むだけだ。
「――見ていてくれ」
誰にも届かない、ちっぽけな宣言。これは自分の為のけじめだ。涙を払い、力の限り羽ばたいた。後ろは振り向かない。
立葵が、揺れた。
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