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きぎしのひたづかい

 ボール越しに彼と目が合って、思わず口から出かけた問いをぐっと喉の奥にしまい込む。あの瞳に惚れてしまった自分に聞けるはずもないのだ。

 ――どうして私なんですか、だなんて。

 ああ、彼の手が離れていく。私の、旅が。



 新しい場所に降り立ち、風の匂いを嗅ぐ。空を仰げば、まっさらな青。先程まで空は闇に包まれていたのに。

 ――遠くまで来てしまったものだ。この空は故郷と繋がっているはずなのに、やけに広く感じた。


「お前がケンホロウか」


 唐突に声をかけられ慌てて見下ろせば、緑の種を背負ったポケモン。確か――フシギダネ。身体は小さいけれど、落ち着いた佇まいからその実力が窺える。


「ようこそオーキド研究所へ。おれはここのまとめ役みたいなもんだ。ま、よろしくな」


 言い終わるや否や、轟音響かせ目の前で頭上に向かって放たれる光の柱。これは……ソーラー、ビーム? 言葉もなく呆気に取られる私と違って、フシギダネさんは涼しい顔をしている。


「……来たな」


「え」


 ざ、と風を切り二つの影が瞬時に舞い降りた。片や、深い藍色と鮮やかな紅を持つ小柄な鳥ポケモン。片や、樹木のように力強い焦茶を身に纏った鳥ポケモン。どちらも見たことのないポケモンだ。

 こちらを見つめる鋭い眼光が少し怖くて、思わず後ずさりしてしまいそうだった。


「新しい仲間のケンホロウだ。研究所を案内してやってくれ」


 そう告げてフシギダネさんは去っていき、私とふたりの鳥ポケモンが残されてしまった。どうしたものかと目線が下に向かう。


「君、ケンホロウって言うのか。初めて見たなぁ」


 溌剌とした声に思わず顔を上げると藍色の彼と目が合った。にこりと爽やかな笑み。


「ああ、自己紹介がまだだったな。オレはオオスバメ」


「ムクホークだ。わからないことがあればいつでも聞いてくれ」


 焦茶の彼も目元を和らげる。まるで、妹と接するかのような柔らかい口調。


「……ケンホロウ、です。これからよろしくお願いします」


 よろしく、と二つの声が重なる。肩の力が少しだけ降りた気がした。


 それじゃあ行くかと飛び立ったふたりの後に急いで続く。親切に案内をしてくれるふたりには申し訳ないが、正直、ついていくのが精一杯だった。飛行速度には自信がある方だったけれど。


「この下に大きい木があるだろ。オレ達みたいな鳥ポケモンの寝床だよ……あ、ムクホークは違うか」


「うるさい」


 それなのに、オオスバメさんとムクホークさんには会話を続ける余裕がある。こんなにも実力差があるのかと、少し落ち込んだ。


 太陽が西に傾き始めた頃、ようやく庭を一周したらしく研究所に戻ってきた。本当に広大な土地だ。アララギ研究所の何倍だろう。


「うわ、もうこんな時間か。歓迎レースしたかったのに」


「……慣れるまで待つという選択肢はないのか?」


「ケンホロウも疲れたよな。そろそろ晩ご飯の時間だけど、少し休んでおいで」


「日が沈んだらここに戻ってきてくれると助かる」


「わかりました。ご案内いただきありがとうございました」


「どういたしまして。明日はレースしような!」


「また後で。他の仲間も紹介するよ」


 ふたりに見送られながら地を蹴った。とりあえず落ち着ける場所を探そう。

 目を付けたのは、静かな川のほとり。オレンジに染まった空の色が水面に映っている。ここならみずタイプとくさタイプの縄張り争いには巻き込まれないだろう。

 ふ、と息を吐く。新しい場所、新しい仲間。きっとここでも退屈はしないだろう、けど。

 ……いけない。こんなことを考えてしまっては。ふるふると首を振った。


 背後で、かさりと草の鳴る音がした。はっと振り向けば、立派な甲羅を背負った橙色のポケモン。ひとの好さそうな笑みを浮かべている。


「すみません、驚かせるつもりはなかったんですが」


 コータスと名乗ったそのポケモンはのそのそと近づいてくる。


「隣いいですか?」


「あ、どうぞ……私はケンホロウと申します。本日からお世話になります」


「こちらこそ」


 しばし無言の時間が続く。このポケモンは一体何のために来たのだろうかと疑問符で頭がいっぱいになった時、ようやく彼が、これは独り言ですが、と口を開いた。


「……ぼくも、連れて行ってもらえなかったんです」


「え?」


「一緒に旅をした他の仲間は連れて行ってもらったのに、ですよ。ああ、ぼくの場合はもうひとりいたんですけどね」


 ……このひとは、私のことをどこまで知っているのだろう。もしかして、全部? その穏やかな表情からは窺い知れない。


「最初はどうしてぼくが置いて行かれたんだろうって考えてました」


 自分と似た境遇だったのに、このひとはどうしてこんなにも落ち着いていられるのだろう。私は、今にも醜い感情が溢れ出そうなのに。


「でも、考えるだけ無駄だったんですよ。彼は誰も蔑ろになんかしない。それはあなたもわかっているでしょう?」


 自然と頷いていた。彼のかけてくれる声は、撫でてくれる手は、みんなに平等だった。


「離れていても、絆が途切れた訳じゃない。いつだって彼と共にぼく達は在るんです」


 ぽろりと、涙が落ちた。彼に否定されたんじゃないかと――それが怖かった。私が弱いせいで愛想を尽かされたんじゃないか、いや彼がそんなことを思うはずはないと、ひとりで堂々巡りをして。


「それでも吐き出したいことはきっとあるはずなので。ぼくで良ければいつでも聞きますから」


「……はい、ありがとうございま……!?」


 顔を上げれば、何故かコータスさんまで泣いていた。ポーカーフェイスだと思っていたけれど、意外と涙もろいひとなのかもしれない。誰にも咎められることなく、ぼろぼろとふたりで涙をこぼし続けた。


 私と彼が泣き止む頃にはすっかり日が落ちていて。


「……戻ってきてくれって言われていたのに」


「オオスバメに怒られるかもしれませんね」


 ふたりで研究所に歩いて向かっていると、わざわざオオスバメさんとムクホークさんが私達を探しに来てくれた。

 何があったのかと首を傾げるふたりには気付かれないように、私とコータスさんはお互いに赤く腫らした目を合わせ、くすりと噴き出した。

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