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satisfaction

「ルチャ兄、ほっぺた、血が出てる」


 バトルの最中にできた傷だろうか。彼の新緑の頬にじわりと滲む紅はよく目立つ。彼は頬に手をやり、気づかなかったと小さく呟く。

「これぐらい、舐めておけば治るから平気だ」


 心配させないよう彼は優しく微笑むけれど、血は流れ続けている。

「そこだと届かないでしょ。おれが舐めてあげるね」


 ──それが間違いだったのだ。

 口内に広がる金属のような、独特な匂い。ぬるりと生暖かい液体は苦いようでいて。

 ──不思議と、とても美味しく感じた。



 一番の好物を尋ねられれば、甘いきのみと答えていた。それなのに、今、脳裏に浮かぶのは鮮やかな赤色。


「……眠れない」

 月が出ていない夜。なんとなく胸の奥がざわざわする。明日も朝からバトルの特訓だから早く寝ないといけないのに、寝ようと思えば思うほど目が冴えてしまう。


 隣で眠っている彼を、できるだけ視界に入れないようにして身体を起こした。


 ──あの味。彼を生かす命の味を、もう一度だけ飲んでみたい。でもだめだ、彼を傷つけてしまうから。

 理性と本能の間で揺れ動き、思考がぐちゃぐちゃになる。

「ん……」


 彼が小さく身じろぎをした。無意識に目をそちらに向けると、彼の首筋が星明かりに照らされてぼんやりと白く浮かんでいる。

(……あ)


 微かに上下するその動きに誘われるように──喉元に牙を突き立てた。つぷりと肌を裂く感覚。一拍遅れて溢れ出した鮮血を、ごくりと喉を鳴らして飲み込んだ。


「おいし……」


 舌に絡みつく味も、鼻に残る匂いも、全く好みではない。けれども、今まで口にしてきたものの中で一番、夢中になるほど、美味しい。


 じたばたと身体の下で暴れ始めたのを抑え込み、抵抗手段を奪う。じう、と強く吸い付けば、それは小さな呻き声を上げて大人しくなった。


 ──これはおれのものだ。全部、ぜんぶ飲み尽くすまで離さない。もっと深くだ。もっと──。


「……美味いか」


 場にそぐわぬ穏やかな声が耳朶を打った。懐かしいリズムで頭を撫でられ──。


「あ……あ……!」

 思わず喉元から口を離せば、どろりと血が溢れ彼の毛並みを汚す。


「ごめ……ごめんなさい、おれ、」


 早く止まれと傷口を舐める。こんな時でも彼の血は美味しい。

「……大丈夫、大丈夫だ」


 ぽん、ぽん、と耳の後ろを軽く叩かれる。


「でも、でも……!」


「俺が簡単にやられると思うか」


 強気に問われ、ぶんぶんと首を振る。

「だから大丈夫だ。それに……」

 ふ、と彼は笑みを漏らす。なぜだかとても眩しくて、目を眇めた。


「俺が食われるなら、お前が俺より強くなった時だ」

 本望だよ、と彼はぽつりと呟く。

 いつの間にか、血は止まっていた。



 一番の好物を尋ねられれば、自慢の兄の名を返す。質問者は首を傾げるけれど、それ以上は何も答えない。

 ──だって、オンバーンにとってはそれが真実なのだから。

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