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溶ける

 今日は寒いと、オニゴーリが懐に潜り込んできた。向こうでは、いつも通り、オオスバメとヘイガニがジュカインにちょっかいをかけている。


「もう立冬を過ぎましたからね」


「ふーん」


 不意に悲鳴が上がり、ふたりでそちらを向くと、我らがエースのバブルこうせんを浴びせられている不憫な姿。元々冬が苦手な彼は、そろそろ堪忍袋の緒が切れそうだ。


「あなたは寒いのが好きなんじゃないですか?」


「うん、好きだよ」


「じゃあ、どうしてぼくの傍にいるんです」


 溶けちゃいますよ、と冗談めかして言うと、オニゴーリは、溶けないよ、とくすくす笑った。


「あったかいのって、ひとりじゃ感じられないからさ」


 だから、好き。彼は静かに、そう呟いた。


「それにさぁ」


「はい?」


「……君になら、溶かされてもいいって思ってるよ」


「え」


 悪戯っぽく笑った彼は、ぼくが聞き返す前に懐から飛び出した。


「ジュカイン凍らせてくるね」


 不穏な台詞を残し、ぴょんぴょんと跳ねて行った彼の背中を見送る。彼の真意はいつも掴めそうで、掴めない。

 また一つ、悲鳴が上がった。

 もはや応戦する気力がなくなってしまったジュカインを暖めるべく、なるべく急いで騒ぎの中心へと歩みを進めた。


***


「僕、今日死ぬから」


 いつもと変わらぬ笑みでオニゴーリがそう告げたのは、例年より少し早く春一番が訪れた日だった。死ぬ、なんて暗い、冷たい単語は暖かな風に最も似つかわしくない。


「死、ぬって、どうして」


「何となく? でも、今年の春は迎えられないだろうなって、ずっと思ってた。ほら見て、こことか溶けてきてるよ」


 くすくす笑いながら、楽しそうに言葉を紡いでいた彼がふと口を閉じ、顔を見上げてくる。


「また泣いてる。コータスは本当に泣き虫だね」


 ぽたり、ぽたりと、雫がオニゴーリの頬に落ちる。あったかい、と彼はまた笑う。涙は音もなく、彼の身とともに消えた。

 高温を発する自分は一秒でも早く彼から離れるべきだ。泣き止むべきだ。そう思ってはいても、四肢は氷漬けにされたように動かない。目から流れるぬるま湯は止まることなどない。


「僕から離れようとしてるの? 無理だね。君にはできないよ。それに、僕が許さない」


「どうしてですか。ぼくが近くにいると、あなたを」


「いいよ。コータスになら溶かされても」


 ――ああ、かつてのその言葉は冗談ではなく。


「僕も結構長く生きたし。それに君は一番の友達だから、いいよ」


 ……反則だ。彼はわざと言っている。そんな言葉を聞けば、ぼくの涙を止める術は無いに等しくなってしまう。

 際限なく溢れる涙は、オニゴーリの身を削ってゆく。彼が少しずつ、いなくなる。


「……意地悪ですね」


「今更気付いたの?」


 悪戯っぽい笑みに、少し頬を緩める。

 彼は、忘れてほしくないのだ。一緒に旅をしたこと、暮らしたこと……最期の時まで、自分に関すること全部。存外、寂しがり屋だから。


「寒くないですか」


「こおりタイプに向かって寒いって何さ」


 最期まで憎まれ口を叩くひとだ。明日からは、もう二度と聞くことはできない。


「大丈夫だよ。怖くない。氷は溶けてもめぐり巡って、また積もるから」


「そう、ですね」


 小さく、小さくなった彼の傍にしゃがみこみ、その声を聞く。先の長い己の生の中で、すぐ思い出せるように。彼の言外に込められた願いに応えられるように。

 春風が一段と強く吹き、ぼくと彼を包み込んだ。

 そして、氷の彼を連れてゆく。

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