かいこ
誰かがこちらに向かって歩いてくる気配がして、ハハコモリは縫いものの手を止めて顔を上げた。
「ヘイ先輩?」
「おー……あー、腹、いてぇ……」
小さく呟くヘイガニの顔色は心なしか青い。先ほど「ウデッポウと特訓してくる!」と意気込んで出て行った姿とは大違いだ。
「何、また拾い食いしたの?」
くすくすと笑うピカチュウに、ヘイガニはちげーよ、と力なく返す。
「特訓の帰りにきのみがたくさん成ってるとこ見っけてさ……」
「それで食べ過ぎちゃったの?」
「相変わらず食い意地張ってるねぇ」
さらにくすくす笑いが大きくなったピカチュウに、ヘイガニはもはや言葉を返す元気もないようだ。
ハハコモリはもう一度手元を見る。もう少し手を加えたかったけれど、形にはなっただろう。手早く糸の始末をした。
「でーきた!」
葉っぱを何層にも重ねて作った簡易ベッドだ。ぽんぽん、と手で弾力を確かめる。いい感じだ。
「ヘイ先輩、どーぞ!」
「お、気が利くじゃん! さっすがハハコモリ!」
ぼふんと音を立てて、ヘイガニは顔から飛び込む。そのまま眠ってしまうかと思ったが不意に、あ、と顔を上げた。
「そういや、サトシがピカチュウ呼んでたぞ」
「え、本当? じゃあちょっと行ってくるね」
ゆっくり休みなよ、と言い残し、ピカチュウはサトシとカスミの団欒の場へ駆けていった。
その背中を見送った後、ヘイガニは再びベッドに顔を伏せた。
「ヘイ先輩、もう寝る?」
「んー……」
「今日大活躍だったもんねぇ」
布団をふわりと身体にかけてあげる。
「……オイラ、海の近くで育ったから……今日はちっと、はしゃぎすぎたな……」
ちょっとどころではなかったと思う。ハハコモリはすんでのところで言葉を飲み込んだ。
「……バトルできたし、特訓もできて……」
満足だ、と呟くヘイガニの声はもはや寝る寸前だ。
「ああ……でも」
……勝ちたかった。
その言葉を最後に、ぐー、と小さないびきが響いた。
「……おやすみ、ヘイ先輩」
頭を撫でても、少しも目を覚ますことはない。余程深い眠りのようだ。
……よし、続きをしよう。先に見繕っていた葉を小気味よく切り取っていると。
「あ、なんかいーものができてる」
「わにゃ先輩?」
不意に明るい声がかかった。顔を上げると、ワニノコが近くの茂みからぴょこんと顔を出している。そういえば姿を見かけなかったのは、ニョロトノと遊んでいたのか、ひとりでぶらぶらしていたのか。
「ヘイガニ、寝ちゃったのか」
「うん、もうぐっすり」
「モクローも?」
ハハコモリの膝元に置いてあるサトシのリュックサック。中を覗き込めば、モクローがすやすやと寝息を立てている。
「気持ちよさそう!」
「よっぽどリュックが好きなんだね」
モクローにとってはこの中にいることが自然だったのだろう。サトシも驚いていなかったから。
リュックサックをゆら、ゆら、と揺らす。ハハコモリの腕の中で眠っている時より、数倍幸せそうな表情。思わずハハコモリの顔も綻んだ。
「わにゃ先輩は? 今日、楽しかった?」
「おれ?」
中断していた作業に戻ってから、それとなく尋ねてみる。なんとなく、普段よりワニノコのテンションが低かったような気がしていたからだ。
「楽しかったよ」
「……そっか!」
「あーでも、そうだなー」
少し考え込むポーズ。そして、へにゃりと目尻を下げて笑った。
「ここに、みんながいればよかったなーって思ったかも」
……ああ。ハハコモリも、腑に落ちた。
「マグはあの岩の上で寝るのが好きそうだなーとか、ベイリーフはサトシにべったりなんだろうなーとか。なんかそんなことばっか」
ハハコモリも、自身を振り返る。
ズルッグに海を見せたかったな。ワルビアルに海の水をかけたらどんな反応をするかな。
そんな思いがいくつも浮かんでくる
「変な感じだよなー。みんなと一緒にいるのが当たり前になってたんだなーって」
「……寂しい?」
「んー? さみしくはないよ。だって、おれが今日見たこと、聞いたこと、みんなに教えたらさ、みんなも一緒に来たことになるだろー?」
思わず目をぱちくりと瞬いた。
旅は一期一会。同じ場所に一緒に行ける確証はないけれど、思い出の中であれば。自分だけは、みんなを連れてこれる。
「だから、明日はもーっと遊ばなきゃな!」
盛大に伸びをしたワニノコは、いそいそとベッドに潜り込む。布団から顔だけを出し、あったかい、と笑った。
「おやすみ!」
「おやすみなさい、わにゃ先輩」
ワニノコが寝息を立てるまで見守ってから、ハハコモリは糸を切り、そっと立ち上がる。盛大な寝相で布団を蹴っ飛ばしていたヘイガニにもう一度布団をかけ直してから、完成した葉っぱの布団を手に持った。
思い出話に花が咲いているサトシ達の分だ。お節介かもしれないが、きっと彼は喜んでくれる。それぐらい自信過剰になっても許されるはずだ。
──それと、モクロー入りのリュックサックも忘れずに。きっと、大好きな彼の近くで眠りたいはずだから。
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