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逢魔

 黄金色の太陽が地平線へと沈み始め、橙の空は徐々に藍色に染まっていく。

……夜の、帳だ。少し焦燥の念を抱きながら、彼の姿を探す。


 彼──同じ主を持つふくろうポケモン、ヨルノズクは大抵この時間になると目を覚まし、活動を始める。太陽が昇るのと同時に起きて、日が暮れたら眠る俺とは正反対だ。

 だからこそ、俺と彼の時間が交わる黄昏時はとても貴重で。話せなくても、せめて顔を見るだけでも。男らしくないとわかってはいるけれど、彼を探すのが近頃の日課になっている。

 ……もしかしたら、ヨルノズクには迷惑かもしれない。だってヨルノズクはとても聡い。きっと俺の気持ちなんてお見通しだ。


 ガサガサと音を立てながら、草をかきわけ歩みを進める。飛んだ方が広範囲を探せるけれど、地に足をつけて歩く方が好きだった。


「……あ、いた」


 探し始めてからそう経たずに、枝に留まる彼の姿を見つけた。今日はとても運がいい。彼の翼は光を弾いてきらりと輝くけれど、日が沈んでしまえば見つけるのは難しい。

 声をかけようと息を吸った瞬間、


「……危ない!」


 脚を滑らせたのか、ヨルノズクの身体は木から離れ、真っ直ぐ地面へと落ちていく。

 条件反射で駆け出した。腕を精一杯伸ばし──間に合った!

 どさりと、軽い衝撃。小柄なヨルノズクを受け止めるのは造作もないことだ。よかった、と息を吐く。


「大丈夫か?」


 声をかけても返事はない。具合が悪いのかと心配になり顔を覗き込む。


「……寝てるのか」


 規則正しく上下する胸に、そう判断した。寝息も立てず静かに眠る彼の頬に軽く触れると、さらりとした手触りがなんとも心地よい。


「無理もないな……」


 昼間、突如ロケット団が現れ、それを撃退するためにヨルノズクは睡眠時間を削って協力してくれた。

 ……最も、サトシの大事なふるさとを脅かす輩を放っておくポケモンなんてここにはいないのだけれど。うっすら隈の浮かんだ目元をなぞる。

 何事もなかったことに安心すると同時に、ふと気付く。……今のヨルノズクは、あまりにも無防備だ。投げ出された脚に、羽毛の生え揃った滑らかなお腹。思わず息を飲む。

 ……きっと、魔が差した。

 おそるおそる、顔を寄せ、額に軽く触れるだけのキスを落とす。たったそれだけのことなのに、心臓がばくばくと音を立てている。全身が火を付けられたように熱い。


「……ん、」


 ヨルノズクが微かに身動ぎした。ぎくりと肝が冷え、顔を急いで遠ざける。


「……ヨルノズク?」


 呼びかけると、固く閉じられていた瞼がうっすらと開く。ほんの少し覗く赤い瞳が、ぼんやりと光っている。


「……ヘラクロスか……」


「おはよう、ヨルノズク」


 俺の名前を呼ぶ声はまだ眠たげだ。その証拠に、小さく欠伸をひとつ。

 大人しく俺の腕に収まるヨルノズクは、なんだか、とても、まずい、気がする。

 ──主に、俺の理性が。逸る気持ちをなんとか抑える。

 俺の視線に気付いたのか、ヨルノズクはふいと顔を上げた。


「どうした」


「何でも、ないよ……」


 言葉に詰まり、聡いヨルノズクがそれを信じるはずもなく。そんな訳はないだろうと俺を睨む。

 しかし、そもそもの原因はヨルノズクなので、説明もできず、理由を言える筈もない。

 ……いや。いっそ、全部、吐き出してみようか。

 彼に触れる度に、こんなにどうしようもなくなってしまうのであれば、もう潮時なのだ。そう遠くないうちに、溢れ出して止まらなくなる。

 ──それに、ヨルノズクは、同性に告白されたからと言って、気味悪く思うようなひとではないと、俺が一番知っている。

 ヨルノズク、と呼びかけると彼は小さく首を傾げた。


「……俺が、好きだって言ったら驚く?」


「特には」


「だよなぁ」


 表情を変えず即答され、思わず笑った。やはり、ヨルノズクは俺の気持ちを知っていて、それでも態度を変えずにいてくれていたのだ。

 ……これで、決心がついた。


「逃げてくれないか」


 俺の言葉を聞いたヨルノズクは、す、と目を細めた。


「ここから逃げて……できれば、明日からも同じように過ごしてほしい。ごめん、自分勝手で」


 ヨルノズクは動かない。表情も変えない。


「お前はそれでいいのか」


「……え?」


「私を遠ざけて……それで満足か」


 ヨルノズクの赤い瞳が、挑むように光っている。

 ……ああ、もう止まらない。溢れさせたのはヨルノズクだ。


「……そんな訳ないよ。逃げないでほしい、俺の近くにいてほしい……」


「……ヘラクロス」


「ヨルノズクの時間が全部、欲しい……」


 俺とお前が一緒に起きてる間だけでいいから。

 最後の方はほとんど消え入りそうだった。

 ヨルノズクを直視するのが怖くて、肩口に顔を埋める。森と風の匂い。俺より高い体温。

 何を考えているのか、ヨルノズクはしばらく黙っていたけれど、やがて、ふっと笑った。


「……貴様は、馬鹿だな」


「ヨルノズク?」


「時間ぐらい、全部くれてやるのに」


 自分の耳を疑った。ヨルノズクと顔を見合わせれば、またくすくすと笑う。よほど俺は変な顔をしているのだろう。


「……俺、馬鹿だから、勘違いしてたらごめん」


「……ん」


 そう、と背中に腕を回し、引き寄せる。ヨルノズクはやはり、抵抗しない。彼の性格上、嫌ならとっくに俺をひんしにさせて飛び去っている。


「ヨルノズクも、俺といたいって、思ってくれてる?」


「だからそう言っているだろう」


 文字の並びとは裏腹に、声色は穏やかだ。痛くないように、でも力いっぱい抱き締める。とくとくと、彼の鼓動が伝わってくる。決して、親密な相手以外では許されない距離だ。


「……ありがとう」


 ぽつりと呟けば、ヨルノズクの肩がぴくりと跳ねた。


「……今のは何の『ありがとう』だ」


 不可解そうに聞き返される。何かおかしなことを言っただろうか。


「俺との時間を選んでくれて、嬉しいから……?」


 探り探り答えれば、ヨルノズクはなるほど、と小さく呟いて口を閉じた。どちらも黙ってしまえば、辺りは静寂に包まれる。けれども、不思議とその静けさは居心地がいい。


 ……それにしても、ヨルノズクの動じなさはなんなんだろう。例え俺の気持ちを知っていたとしても、突然告白されれば多少は驚くものじゃないか?

 まるで、全部知っていたような──。

 はた、と思わず顔を上げ、ヨルノズクの表情を伺う。


「……気付いたか?」


 可笑しそうに彼の目が細められる。ぐっといきなり顔を近付けられ、反射的に身体を引こうとした。

 けれど、いつの間にか頭の後ろに回っていた翼で遮られる。薄闇の中、赤い瞳だけが妖しく光っている。


「鳥ポケモンが、そう簡単に木から落ちると思うか?」


 耳元でそっと囁かれる。それはそれは、楽しそうな声で。

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