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満月

「ゲンガー! ねえ、ゲンガーってば!」


 興奮した様子のカイリューに耳元で名を呼ばれる。正直、うるさい。


「そんなに叫ばなくても聞こえてるよ」


「だって、ほら、すごいよ!」


「見えてるから」


 眼下に広がるのは、見事に赤や橙、黄に染まった木々。サトシから紅葉が見頃だと聞き、居ても立っても居られなかったカイリューは、オレを引っ張ってきたのだった。


「紅葉って、見るの初めてなんだ。自分のいた島は、ずっと緑の葉っぱだったから」


 夢中になるあまり、カイリューは翼を動かすのも忘れ、落下しそうになっている。さすがにこの体重を支えることはできないので、きちんと飛んでいてほしい。


「ゲンガーは紅葉、見たことある?」


 問われ、記憶があの頃に巻き戻る。サトシと出会う前、ひとりで季節が過ぎるのを待っていた頃。

 葉の色が変わりゆく様を見たことはある。けれど、当時は葉の色が変わるなんてどうでもよかった。これが散れば、冬が来る。そして春になればきっと。そんなことばかり考えていた。

 どう返答しようかとカイリューの顔を伺うと、もうこちらを見ておらず、再び眼下の景色に見惚れている。あんまりにもその瞳がきらきらしているものだから、オレの見てきたものは、きっと紅葉ではなかったのだろう。


「……いや、オレも、初めてだよ」


「そうなんだ。じゃあ、お揃いだね」


 ――ああ、紅葉とは、かくも心動かされるものなのだ。


***


 腕が、透けている。どうして、と理由を考えるより先にただ、怖いと思った。オレは、このまま消える? いたずらばかりしてきたから? それとも、ゲンガーは存在するだけで罪なのだろうか。


 ――オレの仲間になってよ!


 手を差し伸べてくれたあいつの姿が脳裏をよぎった。ここに居てもいいと、思わせてくれたあの声。ただ過ぎるだけの毎日に色が付いた瞬間。


「あれ、ゲンガー? こんな所にいたんだ」


 地面に落ちる大きな影。ぐちゃぐちゃの思考のまま視線を上げた。いつまで経っても変わらない、あどけない瞳、おおらかな優しい黄色。


「カイ、リュー」


「どうしたの? そんなに泣きそうな顔して」


 カイリューはその大きな手をぽん、とオレの頭に乗せた。


「オレ、消えたくない」


「消える? どうして?」


「わからない。でも、身体が透け始めてるし、力も入らなくなってきてる。やっぱり、オレ、いない方が」


 涙が溢れそうになったその瞬間、温かな腕で抱きしめられた。


「そんなことない。自分はゲンガーが好きだし、みんなも君を好きだよ」


 背中をぽん、ぽんと優しく叩かれる。何度この仕草に助けられただろう。


「ゴーストタイプのポケモンは、恨みの気持ちが生きるための原動力になるのかもしれないって、前にゴウが言ってたんだ。だから、もし君が消えちゃうとしたら――」


 嬉しそうに細められた目がこちらに向けられ、どきりとした。


「ふふ、君は、自分達が大好きってことなんだね」


「……は?」


 突拍子もない言葉に思わず間抜けな声が漏れた。カイリューは柔らかな笑みを浮かべている。


「君はサトシと、みんなと出会って、恨みなんか忘れるくらい幸せでいっぱいになったんだよ。それって、自分達が大好きってことでしょ?」


 ……ああ、好きだ。呪いなんて跳ね除けてくれる皆が。他は何にもいらないぐらいに。


「自分が生まれた島の言い伝えだけど、ヒトも、ポケモンも、一つの大きな流れの中にいるんだって。だから、きっとまた会えるよ」


 そうだったらどんなにいいだろう。もう一度、サトシにゲットされて、皆と過ごすことができれば。

 ふ、と笑みが漏れた。オレはゲンガーだけど、最期ぐらい願っても許されるだろうか。


「……おやすみ、ゲンガー」


 カイリューの腕に抱かれながら、ゆっくり目を閉じる。広がったのは、満月のように優しい黄色。

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